法務大臣として取組んだ仕事 | 衆議院議員 森 英介

裁判員制度等、司法制度の諸問題

衆議院議員・前法務大臣 森 英介

私の経歴のこと

平成21年9月まで、麻生内閣において一年間法務大臣を務めた。司法制度改革の流れの真っ只中でいろいろな変化のあった年である。そうした自分の経験なり勉強したことを通じて、感じたことや今後のことについてお話していきたい。
 自分の経歴を持ってきた。今日お招きいただいたのは、原崎先生(所長)のご下命だと思う。どこで原崎先生と巡り会ったかというと、私は東京学芸大学附属世田谷小学校に入学して以来、高校までずっと附属で過ごした。原崎先生は、その中学時代の恩師である。
もう一つ、この経歴を用意した所以は、自分がいかに法務行政と無縁の人間であったかを示すためである。高校を出てから東北大学の工学部に進学し、卒業してすぐに川崎重工の技術研究所に勤務した。それから間もなく原子力研究所に出向し外来研究員として一年間勉強し、再び川崎重工に戻った。会社では概ね研究開発畑で過ごした。
 ところが、勤めて約15年近くなった昭和63年に、衆議院議員を務めていた父が他界した。私の家は、祖父が、大正13年に衆議院議員になってから、代々、議員職をやってきていた。そういうことで、よくありがちなことだが、親父が死んだのだから、倅がその後を継げという話になった。多くの地元の後援者から郷里に帰ってきて選挙に出ろと勧められ、自分としても一大決心して千葉に帰り、選挙運動して平成2年に初当選した。
 話が前後するが、ここで、若干自慢話をさせていただく。川崎重工の研究所に入ったときに、当時のボスから「とにかく10年以内に博士号を取れ」と厳命された。とても無理だと思ったが、ボスの言いつけなので必死で頑張った。そうこうするうち、石の上にも三年で、ちょうど10年目に名古屋大学で工学博士号をとることができた。要するに、選挙に出る前はずっと技術屋をやっていたわけである。
 衆議院に当選してから、サラリーマン出身ということもあって、最初に務めることになった政府の役が労働政務次官だった。私自身、川重ではずっと労働組合員であったこともあって、自民党では数少ない「労働族」みたいなことになり、労働政策にはかなり力を入れてきた。その後、衆議院の厚生労働委員長、厚生労働副大臣をやり、一昔前で言うと社労族というか、厚生労働関係を主要な働き場所として議員活動をしてきた。
 また、派閥でいうと、長らく衆議院議長を務めた河野洋平先生とずっと政治行動を共にしてきた。麻生太郎さんとは、言わば兄弟分の関係である。麻生さんが4回目の総裁選挑戦で総理になって、結果的には自民党最後の総理になったわけだが、その第二次麻生内閣で入閣することになった。平成20年の8月24日のことであった。その前日、ちょうど麻生総が組閣作業をされている時に「文部大臣」に決ったという噂が流れた。文部科学大臣であれば曲がりなりにも工学博士であるし、多少は土地勘もある。ところが当日になったら、麻生さんから「お前、ややこしい役になるから心しておけよ」と言われた。どういうことだろうかと思っていたところ、その日の7時にいよいよ官邸に呼び込まれた。緊張して伺候したら、なんと、「法務大臣に任ずる」という。青天の霹靂であった。とにかく法務行政とはこれまでまるで無縁であった。実は私の家内は弁護士で、それがかすかな接点のようにも思えるが。それとて法務行政とはあまり関係ない。

法務大臣に命じられて

 麻生総理から最初に指示をいただいたのは次の二点である。一つは「裁判員制度の円滑な導入を始めとする司法制改革を推進すること」、もう一つは「安全な日本にふさわしい入国管理を推進すること」。結果的には、これが、まさに私の大臣としての仕事の二本柱となったわけだが、それは後の話。その時の最大の問題はその直後に臨む官邸での記者会見を無事に乗り切れるかということだった。なにしろ、何を質問されても分からないという自信があった。原崎先生が、私が、いかに社会科が不得手であるかをいちばんご存知である。それでも、何とか大過なく記者会見を凌ぎ、おそるおそる若葉マークでスタートした。着任してからは開き直って、「全く畑違いで素人ではあるが、基本にすべきはコモンセンスではないか」と自分の気持を率直に表明して、法務行政に取り組んだ。
法務官僚の多くは検事か判事、いわゆる法曹であり、極めて専門性の高い専門家集団である。言うなれば、象牙の塔のような側面がある。司法制度改革の狙いの一つは、司法の世界に民意を導入するということであり、従って、自分のような素人の感覚というのも、新しい空気を導入するのに多少役に立つかもしれない。そういう思いで法務大臣の職に臨んだ。

1年間に取り組んだ仕事

 大臣在任中に取り組んだ主な仕事は「裁判員制度の円滑な導入」の外、「入管法の改正」がある。当時、カルデロンというフィリピン人の不法滞在の一家がいて、のり子さんという娘がマスコミで盛んに取り上げられていた。両親が偽造パスポートで不法入国しているのだけれども、彼女は日本で生まれて日本で育って中学まで行って、しかし、そこで親が摘発されたために強制送還になるという状況にあった。この一家に同情的な意見と、いや、悪い外国人は追い出せという厳しい意見と両論あって、それをマスコミがはやし立て、なかなかに難しい判断を迫られた。実は、このような事例は珍しいことではなく、こうしたことも「入管法の改正」が必要となった社会的背景の一つであったと言える。
 それから、法務大臣としての一番気の重い仕事は、「死刑執行の命令を下す」という職責であった。私は、九人の死刑執行の署名をしたが、言うに言われぬ思いを味わった。
 もう一つは、公訴時効の問題に取り組んだことである。世の中で様々な凶悪犯罪が発生する中で、近年、「被害者の立場を尊重する」という空気が強まってきた。その一環として、「公訴時効」をどう考えるかというテーマがだんだんクローズアップされてきた。そこで、法務省内勉強会を立ち上げて、予断を持たずに、客観的にこの課題について検討を加えることにした。その結果、「身体犯のような重大な犯罪については公訴時効を撤廃しよう」という結論になった。忘れ得ぬ一つの成果であった。しかし、私の任期中に出来たのはそこまでで、私の次の民主党政権の千葉法務大臣の時にそれが実現した。
 そういったことが、私の法務省在任中、気合いを入れて取り組んだ仕事である。

法務省の組織

 参考までに、法務省の組織がどういうふうになっているかを説明する。法務省の内部は、各部局間の総合調整をする「大臣官房」の外、「民事局」「刑事局」「矯正局」「保護局」「人権擁護局」「入国管理局」となっている。「民事局」「刑事局」は何となく業務内容が想像できるが、「矯正局」、「保護局」というのは部外者にはぴんと来ないのではないか。要は、「矯正局」は、刑務所や少年院を所轄している部門であり、「保護局」は、そこから出所した人を社会に復帰させるためのプロセスを司る部門である。
 司法制度改革というのは「民事局」「刑事局」、あるいは「大臣官房」が中心となってやっているわけであるが、特に『裁判員制度』については「刑事局」が主体となっている。麻生総理の、もう一つの指示である『入国管理』は「入国管理局」が主務局である。このほか、「人権擁護局」というのもあった。

司法制度改革

 「司法制度改革」が検討される動因となったのは、おそらく日米貿易摩擦に端を発した「日米構造協議」ではないかと思う。これを契機に、いろんな構造改革をしなければならないという機運が高まった。基本的な方向として、事前規制・調整型社会から事後チェック・救済型社会に変えていかなければいけないということになった。そのような社会になると、自ずからもめ事が増え、司法の果たすべき役割が大きくなってくる。こうした時代に向けて、国民に身近で、たよりがいのある司法を実現しなければならない。今まではトラブルがあってもやくざのに解決を頼んだり、いろんなことがあった。それを本来あるべき姿に改めなければならない、つまり、みんなにとって役に立つ司法に変わっていかなければいけないということになったのだと思っている。
 司法制度改革の歩みは、平成11年ころから既に始まっていて、森内閣、小渕内閣、小泉内閣とか、そのへんが一番積極的に前に進められたのではないかと思う。いずれにしても、こういった時期に、司法制度改革の骨子ができた。と、わかったようなことを言っているが、その時点では、私は、司法制度改革の何たるかを、まるで認識していなかった。
 司法制度改革の三本柱、

①国民的基盤の確立(国民の司法参加)
②司法制度を支える法曹の在り方の改革
③国民の期待に応える司法制度の構築

ということが標榜されて、これに沿ったいろんな改革が行われたわけだが、その中のポイントを集約すると次のようになる。
 国民の司法参加という意味では、「裁判員制度の導入」が一番象徴的なことである。それから、司法制度を支える法曹の在り方の改革、ということでは「法科大学院」が創立されることになった。また、法曹人口をもっと増やさなければいけないということで、平成二二年度をメドに法曹人口を三千人にしようということが旗印に掲げられ、閣議決定されている。
 それから、裁判外の紛争解決手続き(ADR)の拡充。いろんな組織が主体となってADRを作っているが、こういった制度が創設されたのも司法制度改革の一環である。今、小沢さんの一件で話題になっているが、「検察審査会の機能強化」というのも大きな変革である。

裁判員制度の導入

 我が国は三参制になっているが、裁判員裁判の対象となるのは、刑事事件における地裁の裁判だけである。しかも、国民の関心が特に高い、殺人であるとか強盗致死傷であるとか、そのような極めて重大な犯罪の裁判に限られている。
 裁判員に選任されない人たち(事件関係者であるとか判断力に問題がある人)もないわけではないが、原則として有権者すべてが対象となって籤で選ばれた人に呼び出し状が行く。実際に裁判が始まると、その裁判がだいたい何日ぐらいかかるか判断して、それに基づいて必要な人員を集める。そして、裁判所に足を運んでもらった人の中から又籤でもってふるいにかけ、原則として裁判員六人と裁判官三人で行われる。ある種の裁判によっては、裁判員四人、裁判官一人というケースもある。
 司法制度改革で行われた様々な改革で、正直なところ、首をかしげたくなるようなこともないわけではないが、「裁判員制度の導入」というのは、やはり導入して良かったのではないかと思っている。
 実際に法案が成立した時点では、各党各会派、呉越同舟でこぞって賛成したのであるが、しかし裁判員制度のスタートが近付いてくるにつれ、逆制動がかかってきた。国会やマスコミでも寧ろ問題点や心配ごとが強調されるようになり、国会の論戦でも批判的な立場での質問が多くなり、防戦にこれ努めなければならなかった。忘れもしない平成21年5月21日、いよいよ裁判員制度がスタートする日を迎えたときは感無量の思いであった。この日の記者会見で申し上げたことであるが、この裁判員制度の意義というのは、私流の言葉で言えば、お上の裁判から民主社会の裁判に変わったのではないかと思っている。
 日本人は、なんだかんだ言いながら、非常にお上に対する信頼が厚い国民である。昔からお上の裁きにはそれなりに納得してきたわけだが、もうちょっと民意を反映することが必要ではないか。あるいは、この制度を導入することによって、裁判の迅速化が可能になるのではないか等々、裁判員制度の導入にあたっては、いろんな観点からの議論がなされた。それしても、一番大きな意義は、お上の裁判から民主社会の裁判に変わったという点であろう。
 もう一点は、国民の皆さまが刑事裁判に参加することによって、国民ひとり一人が社会の治安とか秩序に対する責任を受け持つことになるのではないかと感じている。そういう観点からある雑誌に寄稿した拙稿であるが、お手元に配布している資料「裁判員制度の始まりに臨んで思うこと」に私の思いが記されており、後でお読みいただきたい。

検察審査会の機能強化

 もう一つ、目立たないけれど、かなり重要な改革が「検察審査会の機能強化」である。日本では控訴権(起訴する権利)というのは検察官が独占していて、ずっとそれで来ていた。検察審査会というのは、昭和23年から検察審査会法に基づいてあったが、それは意見を言うだけであって、法的な拘束力はなかった。それが、司法制度改革の一環として検察審査会法を改正し、起訴議決制度が導入された。検察審査会の議決、すなわち法的拘束力が生じるようになったのである。要するに、審査会で、第一段階の審査がされて「起訴相当」という議決が出ると、検察がもう一度見直しをしなければならない。これで、起訴をすればそれで終わるが、起訴しなかった場合、第二回目の検察審査会が行われて、ここで再び「起訴相当」という議決が出た場合、検事は当てにならないということで、弁護士が検事の役をして起訴が執り行われることになる。
 小沢さんの場合、一つの事案は「不起訴不当」になったのでこれで終わるが、「起訴相当」になった事案があって、その事案については第二回目の検察審査会がじきに開かれて、その結果が出る。ここで「不起訴不当」とか「不起訴相当」という決議が出た場合にはそれで終わるが、再び「起訴相当」という判断が出た場合には、起訴されて公判が執り行われることになる。
 控訴権が検察官に独占されていたものが、民意を反映するという流れの一環として、検察審査会の機能が強化されたことは極めて大きな意義があったと思う。

死刑制度の問題

 次に、死刑の問題が最近クローズアップされている。私の後任の千葉法務大臣、折しも今日退任したが、千葉大臣は、もともと死刑廃止論者であった。従って、自分の信条と職責の板挟みになってずいぶん悩んだのではないかと思うが、この間、署名して死刑を執行した。その際、自分が死刑に立会ったり、それから刑場を公開したり、前例のないことをした。一湯のパフォーマンスのようでもあり批判的な見方もあるが、みんなに死刑についてもっと真剣に考えてくださいよ、という彼女なりの意思表示のようにも思える。実は、彼女は偶然であるが、私の附属高校の同級生なのである。そんな間柄であるせいか、私は、彼女のしたことも、一面において理解できるような気もする。
 改めて申し上げれば、死刑執行は法務大臣の命令によると。この命令は、裁判所の判決が出てから六カ月以内に執行しなければいけないのが原則である。ただ、再審請求とか恩赦の請願が出たら、その間だけは期間に繰り入れない。そうすると、とにかく再審請求を繰り返す死刑確定者もいて、いつまで経っても死刑執行ができなくなる。長い人は30年も40年もずうっと拘置所にいるということになる。本来、6カ月以内に執行されるべき死刑確定者がと全国の拘置所に100人以上もいる。
 死刑という制度がある限り、かつこういう法律がある以上、私は法務大臣になったらその職責を果たさなければいけないと思う。もちろん千葉大臣だけでなくて、自民党でも法務大臣在任中に死刑執行しなかった、つまり宗教的な理由からしなかった人もいるわけだが、そういう人はこういう法律がある以上、法務大臣を受けるべきではないだろう。
 そういうことで、私自身、たいへん辛い思いをしてこの職務を遂行した。9月24日に法務大臣に就任して、職業訓練ではないが、この間、東京拘置所の刑場を見せられ、その後10月28日2名、それから1月29日に4名、と署名して死刑を執行した。
 死刑を執行する時期については、やはり諸般の情勢がそれとなく考慮されているように感じた。たとえば、裁判員制度のスタートを控えたような時期には、、あまり死刑の問題がクローズアップしては具合が悪いという配慮があったのかなかったのか、しばらく執行が途絶えた。次に、執行したのは、衆議院が解散してからで、3名の死刑を執行した。結局、私の在任中に合計9名の執行をした。
 執行するに当たっては、事務方からもらった資料を十分な時間をかけて丹念に読んだ。資料は持って出ないでくれというので、大臣室に缶詰になって読む。そのため、とにかく時間が丸一日空けられるような日が選ばれた。大体人一人殺したぐらいでは死刑にならないので、いずれも想像を絶するくらいとんでもない人たちだ。それでも署名するというのは嫌なもので、署名しなければならない日の朝は、近所の神社にお参りして心の準備をしてから出勤したものだ。非常に気の重い仕事であった。
 今、日本で世論調査をすると、死刑制度の存続を支持する人が八割に上る。私からすると「えっ」という感じがする。イスラム圏は別にして、今や、文明国で死刑を実行しているのは、日本のほかは、アメリカと中国とロシアくらいのものである。で、ヨーロッパは全部止めている。韓国も、死刑制度があるけれどもずうっとやっていない。 
私が死刑執行すると、その度に、国連からもヨーロッパの国々からも、一斉に猛烈な抗議がくる。ちょうどその頃、私の娘がイギリスのエジンバラ大学に留学していた。娘いわく、エジンバラでは日本のニュースが報道されるということはほとんど無いそうである。しかし、亡くなった中川昭一財務大臣が酩酊記者会見した時と私が死刑執行した時の2回だけはテレビに出たと。そのくらいヨーロッパでは死刑というのは、違和感を持って捉えられている。
 では私自身はどうかというと、私はやはり死刑制度があった方が良いと考えている。なにがしかは日本の治安の抑止力になっているのではないかという気がするからである。しかし、死刑をどうするかについては、もっと国民的議論を喚起していかなければいけないと思っている。そういう意味では、私は千葉大臣と認識を同じくするものである。
 先般、刑場をマスコミに公開した時に、こんなおぞましいものを見せないでくれという抗議があったというが、実に心ない違憲意見である。あそこで死刑の執行に関わる人たちのことを考えてみろと言いたい。事実、刑務官の間では、おれたちに全部押しつけておいて何だ、という強い反発があったという。死刑はあった方がいい、しかし、自分たちの目に触れないところでやってくれ、みたいな気持ちが国民のどこかにあるとしたら、それはやはり問題だと思う。
 マスコミ公開されたので既にご存知の方もあるだろうけど、どういう風にして死刑が行われるかというと、およそこんな感じである。告知されるのはその日の朝である。独房から引き出されると、教戒室というのがあって、まずそこに入る。それから刑場に連れて行かれる。死刑の仕方は、絞首刑である。首に縄をかけた状態で足元の床がバタンと下に開いて身体が落下して縊死する。刑場の隣室の壁に電動式の遠隔操作で床を落とすための押しボタンが3つあって、3人の刑務官が一斉にボタンを押す。阿弥陀籤のようなもので、どのボタンが実際に作用したかわからないようになっている。その押しボタンがある小部屋と反対側に刑場とガラスで仕切られた立会い室がある。ここに、拘置所の所長と担当検事が立って、執行の一部始終を見届ける決りになっている。先日は千葉大臣もここに立ったわけである。
この刑場を視察した時に、案内してくれた拘置所長が「大臣、仕事とはいえやはり辛いです」とポロっと言った。私はこの人に近々また嫌な思いをさせるのか思うと、暗澹たる気持ちになった。死刑の判決をする裁判官、サインをする大臣、実際に執行する刑務官、その有様を見届ける拘置所の所長と担当検事、そういった人たちの心の負担の上に立って、こういう嫌な仕事が行われているということを、ひとつ心に留めていただきたいと思う。

入国管理制度の改革

以上が刑事局の担当する司法制度改革がらみの話と、加えて死刑に関わる話である。ここで、もう一つの安全な日本にふさわしい入国ならびに在留管理の話に移ろう。現在、わが国には外国人の不法滞在者が10万人以上いる。その数を何とか減らそうと、不法滞在者半減計画などと目標を掲げて、一生懸命取り組んでいる。私の大臣在任中にちょうどその期限が来て、概ね目標を達成できたと入管局長が威張って報告にやって来た。
カルデロン一家の事例もそうであるが、このように多くの不法滞在者がいるのは、わが国の制度の問題もある。そもそも、何で不法滞在している外国人の子供が小学校、中学校に行けるのか、疑問に思われる方も多いと思う。このように奇妙なことが起るのは、在留管理は国において行われていて、一方、外国人登録は市町村で受け付けているためである。だから、不法入国者、不法滞在者であっても最低限の社会福祉サービスは受けられるし、また、その子供たちは、義務教育を受けられることになってしまうのである。
 こうした制度上の問題を改めるために、私の在任中に出入国管理法の改正を行った。この法律は、昭和26年に制定されて以来、何回かマイナーチェンジは行われたが、抜本的な改正は、今回が初めてであった。今回の改正のポイントは、外国人の在留管理が国に一元化されたことである。
また、外国人が日本に入ってくると、転居したりすると、そこで動静が把握できなくなってしまったのだが、転居してもずっと連続的にフォロー出来るようになった。
 一方、適正に日本に在留する外国人には、いろいろ不便な制約があったのを大幅に取り払った。管理をしやすくする一方、健全かつ適正に在留している外国人にはなるべく自由にしてもらえるよう在留カードを発行した。かなり意義のある改正であったと思う。
 尤も、この改正に批判的な意見がなかったわけではない。私が就任するちょっと前のことであるが、日本に入国する外国人については全員、指紋をとって顔写真も撮るというルールが適用されることになった。入国時のこの措置と今回の改正を合せると、うがった見方をすれば、外国人に関しては、ほとんど全員背番号制になってしまったということも言えるからである。その点については、運用上、そのようなことにならないような仕組みになっているということで理解を得て、共産党を除く全党の賛同を以て成立した。わが国の入管行政で画期的な改正であり、日本の治安の向上にも大きく寄与する仕事が出来たと自負しているところである。
 もうひとつ、「国籍法の改正」というのも手掛けた。ある日本人の男性が、フィリピン人の女性と結婚して子どもができたとする。これまで、そういう父母の子どもであって、両親が結婚していれば、日本人の親に認知されれば日本の国籍を取得することができた。ところが、この法律について最高裁で違憲判決が出てしまった。そこで、その違憲状態を解消するための法改正を行うことになった。子どもの立場からすれば親が離婚しているというのは関係ないことであるから、結婚していない場合でも、親の認知があれば日本の国籍が取れるという改正をしたわけである。
 これも、いざ改正する段になったら、ある種の人々からものすごい反対が巻き起こった。こんなことになると、ブローカーが暗躍して怪しげな日本人が増えるのではないかとか、子どもの人身売買が起こるのではないかいうのが反対する理由である。
その点、戦前の国籍法は実に大らかなものであった。戦前の国籍法によれば、結婚していようがいまいがとにかく子どもを日本人が認知すれば全部日本国籍がとれた。反対した人たちは、おそらく戦前の国籍法も知らずに、誰かに扇動されてやっているのかなあと思ったが、とりわけインターネット上での批判はすさまじかった。しかし、これは最高裁の違憲判決が出た案件であるから、何としても通さなければならなかったわけだが、かなり苦労したし、難産であった。

我が国の刑事司法の問題点

私が1年間法務大臣を務めて、我が国の刑事司法で一番大きな問題だと思ったことは、起訴有罪率の高さである。日本では、検察が起訴すると、起訴された被告のうち99.8%が有罪になる。ところが、アメリカは80%、イギリスにいたっては50%程度である。なぜ日本ではこんなに起訴有罪率が高いのか。理由はいろいろ考えられるが、まず一つは、我が国では、無罪判決が出ると、あたかも冤罪のような批判が検察に向けられる。そんな土壌なものだから、検察としてはよほど自信のあるケースでないと起訴しない。つまり検察が自己診断して、ふるいにかけてしまっているのではないかと思わざるをえない。これでは、何のために裁判所があるのかわからない。
 先ほど述べた検察審査会は、一般の人々の感覚で起訴すべきか否かが判断されるので、この問題を緩和するのに有効ではないかと期待している。
なお、この点について別な見方をする人もいる。日本の裁判官も検事も結局のところ同じ種族であって、同じ物差しで判断する。それゆえに冤罪が生れがちであると。私は、こうは考えないが、何にしてもが、これほど起訴有罪率が高いというのは問題である。
 もう一つ気になることは、我が国では、容疑者になっただけであたかも罪人のように扱われることである。ましてや起訴されれば、なおのことである。「推定無罪」の原則がまるでなおざりにされている。こうした風潮というのは、起訴有罪率の高さと表裏の問題のようにも思える
もうひとつ大きな問題を挙げれば、再犯率の高さである。現在、刑務所の中にいる人が仮に出所しても、そのうちの四割の人が五年以内にまた刑務所に戻ってくる。内訳を言うと、初犯の人ではその割合が3割5分ぐらい。累犯だと、一旦娑婆に出ても6割の人が刑務所に戻ってくる。いくら検察、警察が頑張って悪い人を捕まえて刑務所に入れても、出るとまた戻ってくる。ブーメランのように再生産されている。
 ある刑務所に視察に行って、幹部と懇談をした。中に分類室長というポストの人がいた。出所する人の社会復帰などを考えてあげる役の人である。その人に、「そういう仕事をしていて虚しくなることないですか」と水を向けてみたら、「いや大臣、むなしいことばっかりで…」と堰を切ったように、いかに虚しいかということを吐露してくれた。例えば、仮釈放になった人が生活保護を受けさせなければいけないので、まず更生保護施設に入れて、そこに住所を置いて生活保護を受けさせる。その上で、どこか高齢者施設のようなところに行くようにと懇切丁寧にガイダンスをして送り出してやる。それでも、たちまちのうちにどこかで万引きなどしてまた戻って来てしまう、と。
いろいろ申し上げてきたが、1年間法務行政に関わって、法務行政で最も重点を置くべきは、矯正および保護行政ではないか、すなわち、刑務所などの矯正施設で罪を犯した人をどういうふうに矯正するか、そして、刑を終えて出所する人をどのように社会復帰させるか、ということではないかと感じた。
それと、どうしても一言申し上げておきたいことは、刑務所などの矯正施設で働く人、すなわち、刑務官と言われる人たちの仕事が本当に大変だということである。同じ治安にかかわる仕事でも、警察官であるとか消防士であるとか、あるいは自衛官であるとか、こういう職種の人たちは苦労も多いだろうけど、時としては人さまに喜ばれたり褒められたりすることがある。しかし、刑務官だけは普通にやって当たり前で、なにかあるとものすごく責めを受ける。矯正局長が月に2、3回大臣室に現れるが、大体が、「申し訳ありません。また、不祥事がありまして・・」と言って報告かたがた謝るためである。
刑務所に入っているのはだいたい悪い奴であるから、人を籠絡するのもうまい、刑務官のように真面目に生きてきた人はすぐ籠絡されてしまって、そういう不祥事が起りがちである。それと、住環境にしても刑務所に隣接した宿舎にずっと住んでいて、いつ何があってもすぐ出動できるような態勢で家族ともども生活している。ほんとうに過酷な仕事であると思った。
 ここで、更生保護行政について少し述べると、仮釈放になった人々の社会復帰支援については、ほとんど保護司さんたちの活動におんぶにだっこと言った現状である。こんなことを言ったら差しさわりがあるかもしれないが、法務省の出先である保護観察所の業務は、保護司さんたちとの対応にほとんどのエネルギーを費やしているように見える。それも大事なことだが、再犯率の高さを何とか改善しようとするならば、もう少し国が責任を負う部分があっても良いように思う。
 死刑制度の存否については先ほど申し上げた。これまで刑事司法のプロセスというのは、私ども一般の国民の目にあまり触れないところで、ごく限られた人によって取り行われていたという面があったと思う。例えば、オウム真理教の麻原彰晃の事件、あるいは、秋葉原の殺傷事件など、事件があった時には人々の注目の的になる。次に、裁判の判決が出た時もそれなりに関心を呼ぶだろう。そして、死刑になる時は最近発表されるようになったので、国民は分る。しかし、そのようにスポット的に認識されるだけで。その途中経過というのは一般の人々の目に触れることはない。一般の人がもう少し社会の治安について責任を持つためには、やはりプロセスが見えるようにしなければと思う。
 毎日新聞の九州の記者で福岡さんという方が書いた「隠された風景」を読んだ。今、ペットブームで人間の数と同じくらいの数で犬やら猫やらがいるが、ペットに対する接し方が人間はすごく無責任である。ある種の犬が流行ったかと思うと、そのブームが過ぎ去ると、その種類の犬たちがどんどん殺処分されているという。そういう処置が人々の目に触れないところで行われているものだから、およそ一般の人々は心の痛みを感じることがない。
 屠殺場もごく限られた人たちによって運営されており、そういう人たちの日頃の仕事の内容など分からないままに、私たちは肉などを食べたりしている。そういうことに、もう少しみんなが目を向けてちゃんとした認識を持たないと、一部の人たちにしわ寄せが行く状況というのはいつまで経っても変らない。
こうしたことと死刑とを一緒にするのはどうかとも思うが、やはりもう少し多くの人に私たちの目に触れないところでどういうことが行われているかということをきちんと認識していただいて、その上で、死刑制度の賛否についても議論してもらいたいと思う。
 あと、在任中の大きな出来事といえば、小沢さんの秘書の逮捕という一件があって、鳩山さんを始めいろんな人から国策操作という謗りを受けた。しかし、それはもちろん法務大臣は検察官を指揮・監督することはできるけれども、実際の個々の事件については検事総長を通じて指揮をする。少なくとも検察が厳正・公平にいろんな仕事に携わっている以上、検察の独立性は法務大臣として最大限に尊重しなければいけないという認識で職務に臨んだ。李下に冠を正さずで、例えば検察の人と接する時はすごく注意をして、自分の言葉が予断を与えないようにした。
ただ、確かに難しい面があって、平成21年3月3日の午後5時10分に大久保秘書ら3人が逮捕されたが、実はその日栃木県の喜連川にある刑務所内の社会福祉センターに視察に行っていて、3時過ぎに視察を終えて公用車で東京に向かって走っていた。そうしたら4時半に刑事局から緊急の電話が入って、「本来お会いして報告すべきところですが、時間がないので電話で失礼します」と、そして、「30分後に東京地検特捜部が小沢秘書らを逮捕します」ということだった。指揮権を発動するということであれば、ここで「止めてくれ」と言えばおそらく止まることになると思う。しかし、私自身、検察に全幅の信頼を寄せて、余ほどのことがない限りそういうことはすべきではないという姿勢で臨んでいたので、聞きおくだけで、私見は何も差しはさまなかった。
 検察というのは準司法と言われる極めて独立性の高い組織であるけれども、一面において、法務大臣の指揮下にある行政の一翼を担う部門である。そして、法務省においては、刑事局が検察と法務省との境界領域のようなところ、いわば塩水と真水の混ざっているところの役割をしている。しかし、刑事局長といえども、東京地検が何をやっているかということは詳細には把握していないようであった。この辺の関係は微妙で、果たしてどういう法務大臣でも検察の独立性が維持されるのか、あるいはどういう政権になっても検察の独立性が維持されるのかというと、必ずしも確信は持てなかった。少なくとも私は、大臣の意向が何らかのシグナルとならないようにかなりの神経を使った。すなわち、法務大臣というのは、常にそのように自分を律する気持を持たなければいけないということを感じた。
今、司法制度改革の流れが進んでいるが、それは必ずしもいいことばかりではないような気がする。
例えば、法科大学院であるが、当初の構想通りいけばよかったのだが、方向性が少し変わってたくさん出来過ぎてしまった。結果として、法科大学院に行っても半分くらいの人しか法曹になれないという状況になって、もう一度法科大学院を再編しなければいけない。それから、法曹人口を拡大するという課題についてだが、日本の場合は司法書士とか税理士とか、隣接士業というのか、弁護士と競合するような仕事をしている専門家が沢山いる。そして、既に最近は、せっかく弁護士になっても事務所に入れないという人がいっぱい出ている。平成22年を目処に3000人目標ということで取り組んできたわけだが、実際問題として、今年も2000人余しか合格していない。それでも弁護士が過剰になっているという指摘も多い。
もう一つ、最近話題になっているのは、司法修習生が今まで給費制であったのだが貸与制に変る。これもさんざん議論を経てこういうことになったのであるが、諸般の情勢からして、実際にはなかなか大変だというのも理解できないわけではない。こうしたことも検討課題の一つであろう。
 平成11年頃から推進されてきた司法制度改革であるが、いいところもあるけれども、そろそろ見直さなければいけないところもあるのではないかと思う。これからも皆さま方にもより関心を持っていただいて、特に今まで見えなかった部分も多少見えてきたわけなので、国民的な議論を喚起していただいて、前向きに適切な判断をしていただけたらと思う。
 私も一年間、自分なりに必死に法務行政に取り組んだわけであり、これからもこの分野がいい方向に行くように尽力していきたいと思う。(完)