GLAY幕張20万人コンサート体験記 | 衆議院議員 森 英介

GLAY幕張20万人コンサート体験記

森 英介

 平成11年7月31日、幕張メッセの大駐車場で、人気ロック・グループ、“GLAY”の20万人コンサートが開催された。今年、開設10周年を迎えた幕張メッセとしても、未曾有の、挑戦的な大イベントで、「幕張メッセ」の名前を改めて全国に鳴り響かせることになったコンサートである。私は、小学校6年生の娘と共に、その大群衆の中にいた。
 私の娘は、1年半ほど前から、GLAYの熱狂的なファンである。このコンサートにも、是が非でも、行きたかったのであるが、子供なりにあらゆる手立てを尽しても、どうしても、チケットが手に入らない。殆ど諦めかけていたところ、余分のチケットを入手できた知合いから、直前になって、2枚のチケットを融通してもらうことが出来た。
彼女としては、天にも上る心地だったにちがいない。だが、困ったことに、この日は、母親、すなわち、私の妻がよんどころない用事があって、付き添っていけない。さりとて、どんな混乱が起こるやもしれぬこの催しに、子供同士で行かせる訳にもいかない。
そこで、止むなく、私の出番となった訳である。不承不承、娘の付添いとして、出かけて行ったのであるが、そのお蔭で、実に貴重な体験と見聞をすることが出来た。その印象の一端を、ここに綴りたい。
コンサートは、午後4時30分に、開演する。十分な時間的余裕を見て、3時前に、海浜幕張駅に降り立った。さぞや混雑していることだろうと思いきや、普段とさほど変りのない駅周辺の光景である。拍子抜けしたような感じがした。行きがけに、幕張プリンスホテルに立ち寄って、お手洗を拝借した。そのまま、黙って出て行くのは如何なものかと思って、日頃、親しくしている野中さんを探して、挨拶をした。それが、却って、余計な気遣いをさせることになってしまい、コーヒー・ショップで、ジュースとケーキをご馳走に相なった。野中さんによれば、午前中は、駅もホテルの周りも、ごった返していたとのことである。つまり、私たちは、随分早く着いたと思ったのだけど、寧ろ、遅い方だったのである。
 それでも、会場に近づくにつれ、人が増え、1キロくらい手前のところから、両側の歩道は車道に溢れるほどの人で渋滞し、牛歩のような歩みでしか、進めなくなった。その群れの中にいて感心したことは、他人を押しのけて前へ出ようというような不心得者が全くいないことである。静々粛々と、ひたすらのろのろと前進して行く。やがて、会場の入口に到着し、場内整理係の指示に従って、所定のブロックに入った。コンサート会場と言っても、席が用意されている訳ではない。柵で、30メートル四方くらいのブロックが区切られているだけで、そのブロック毎に、ざっと500人ほどの人が押し込められる。ブロックの中では、早い者順で、どこに自分の居場所を定めても、構わない。
しかし、皆が、地面に坐ると、足の踏み場もないほどの人口密度である。会場全体を見渡すと、長方形の会場の片端にしつらえられたステージから、最後部までは、1キロほどもあろうかという広さである。私たちのブロックは、その中ほどよりちょっと前といったところであった。
 驚いたことには、真夏の炎天下、まだ開演まで30分もあるというのに、既にして、聴衆は、殆ど総立ちである。一人、地べたに坐っていると、周囲を壁に取り囲まれたような具合になってしまう。それから、終演まで、4時間近く、暑さと疲労で時々へたり込む私を除いては、ほぼ全員、立ちっ放しであった。
 聴衆の男女比率は、3対7くらいのものであろうか。年齢層は、家族連れで来ている幼児を除けば、11歳である私の娘がほぼ最年少、50歳の私が最高齢といった感じである。中学生や高校生とおぼしき年少者も少なくないが、大半は、20歳前後から30代前半の女性のように見受けられた。GLAYのメンバーは、年齢が27,8歳ということで、ファンの年齢層もそれ相応に高めなのかもしれない。また、GLAYのファンには、そのビジュアル系の化粧や装いを真似た、異様な風体の若者が多いと聞いていたが、目をむくほど過激なのは、せいぜい10人に1人か2人、大部分は、標準的な、今どき風のいでたちの若者である。
 定刻になると、演奏が流れ、同時に、私たちのブロックのすぐ横手のブロックの中にあった得体の知れぬ鉄骨構造物の天幕が取り払われた。すると、思いがけないことに、その構造物の天井の上に、突如、GLAYが出現したのである。私たちの立っているところから、わずか30メートルくらいのところである。あまりの幸運に、我が娘は、興奮を抑えきれない様子だった。そのステージが設置されたブロックに、柵を乗り越えて、どっとなだれ込み、我れがちにステージに駆け寄ろうとする女の子たちもいる。それを見て、娘は、心穏やかでない。あんなことをして良いのかと、やっかみ半分でぶつくさ小声で文句を言う。確かに、あまり褒められた行為ではない。しかし、私の本音を言えば、そのような横紙破りをする者が、全体からすると、ごく少数だということの方が、寧ろ、不思議に思われた。なぜなら、柵を乗り越えて、他のブロックに入り込んだからといって、誰も咎めだてする人もいない。一旦、紛れ込んでしまえば、チケットなど誰も確認しやしないのだから、もうこっちのものである。場内整理係も大勢いるが、なにしろ客の数がやたらと多いので、管理が行き届くはずがない。そうであれば、ちょっとズルをして、よりステージを見やすいブロックに移りたくなるのは、無理もないことのような気がする。それなのに、大多数の若い観客たちは、自分のブロックがどんなに条件の悪い場所であっても、従順に、決められた枠内で観賞している。喩えは悪いが、柵の中に閉じ込められた羊のようである。後日、週刊誌で、この会場を真上から撮った航空写真を見たが、碁盤の目状の各ブロックに、見事なほど均一に人が分布していて、まるで田んぼの稲穂のようであった。
 さて、私が本物のGLAYを見るのは、勿論、初めてのことである。なるほど、長期に亙って高い人気を持続しているだけあって、歌も演奏も、非常にうまい(但し、このコンサートで流れていた音は、生演奏ではなく、スタジオで録音されたものだと思うが。)そして、それ以上に印象的だったのは、メンバーが、素朴で、けれんみのない、実に、好もしい青年たちだということである。ボーカル兼進行役を務めるテルなど、この大イベントで自分の気持が高ぶっていることを隠そうともしない。それでいて、ある種のカリスマ性をも感じる。彼らの人気の秘密を見るような思いがした。
 演奏が始まって、またびっくり。20万人が一斉に、無念無想で、身体でリズムを取りながら、両手を打ち振る。その動作が、ラジオ体操をしているが如く、皆、同じなのである。しかも、初めから終りまで同じ動作をしているかと言うと、そうではない。その手振りをしない曲もある。また、一曲の中で、部分的に、したり、しなかったりする曲もある。会場内のどこかで、誰かが、合図でもしているのだろうか。
 開演して30分ほど経つと、GLAYのメンバーは、目と鼻の先のステージからマイクロバスのような車の屋根の上に乗り移り、そのまま、遥か彼方の正式なステージの方に移動してしまった。会場のほぼ中ほどの私たちの位置からさえ、ステージ上のGLAYは,芥子粒よりもっと小さくしか見えない。どうせ実物は見えないので、会場内の数カ所に巨大スクリーンが設置されていて、後は、そこに映し出される拡大画像を眺めることになる。
 やがて、とっぷりと日が暮れて、定刻の7時半ちょっと過ぎに終演となった。それから20万人が退場する訳であるが、主催者側の指示に従って、ブロック毎に順番に出て行く。その指示を無視して、さっさと帰ってしまった要領の良い奴らもいないことはない。しかし、そんな連中は、せいぜい2割くらいのもの。大多数は、その場に腰を下して、文句も言わず、静かに順番が来るのを待っている。煙草を吸いたくなるが、時々、禁煙にご協力くださいと場内アナウンスが流れる。海っぺりの吹きさらしの駐車場であるから、演奏中ならともかく、もう煙草を吸ったって一向に構わないではないかと思うのだけど、見渡す限り、禁を破って煙草を吸っているものは、誰一人いない。イライラしながら、待つこと1時間余り。間もなく9時になろうかというのに、まだ半分も、はけていない。遂に、意を決して、「よし、もう帰ろう。ついてらっしゃい。」と娘に言って、「順番に帰らなきゃいけないんじゃないの。」と渋る娘を引っ立てて、退散することにした。ブロックを出る時に、場内整理係の若者に制止されたが、「子供がまだ小学生で、早く寝かせないといけないものですから。」とか何とか言い訳をして、脱走してしまった。
後で聞いたら、一番最後に帰った組は、夜中の12時を廻っていたそうである。
 メッセの見本市会場内のレストランで、遅い夕食をとった後、稲毛駅に出た方が空いているということなので、稲毛行きのバスに乗ることにした。バスの乗場に着くと、京成電鉄バスがその総力を結集したといった趣きで、広い操車場にバスが数珠つなぎに並んでいる。ひっきりなしに乗客が乗り込んで、満杯になるとすぐに発車する。従って、長蛇の列であるにも拘らず、大して待たないで、乗ることができる。ところが、私たちが列の中で順番待ちをしていると、高校生風の女の子の二人組が列をショートカットして、割り込んで、バスに乗り込もうとした。私は、思わず大声で、「おい、君たち。ちゃんと並ばなきゃ、ダメじゃないか!」と一喝した。すると、私たちのすぐ後ろに並んでいた、これまた若い女の子のグループの一人が、その光景を見ていて、「あっ、オジサンがからんでる。」と、私のことを揶揄したではないか。またしても、怒り心頭に発した。からんでいるとは何事か。今度は、後ろを振り向いて、怒鳴りつけようかと思った。そのとき、連れの女の子の一人が、「からみたくもなるよ。」と、私の立場をやんわりと擁護した。これで、いくらか救われたような気持になって、黙っていることにした。そうこうするうちに、割り込みをした女の子たちは、何事も無かったかのように、バスに乗り込んでしまった。考えようによっては、それほど目くじらを立てるようなことではなかったかもしれない。それなのに、怒声が口をついて出たのは、今日一日、規律を従順に守る若者たちの姿を見て、強い印象を受けたのが裏切られた腹いせか。はたまた、自分自身が、ついいましがた、順番を守らずに、会場を脱け出してきた後ろめたさの裏返しか。
 その後、9月22日、同じ幕張メッセで、「幕張メッセ・幕張副都心10周年記念式典」が開催された。そのパーティーの席上で、私は、GLAY20万人コンサートの主催者の一人でもある日本コンベンション・センターの杉山和男社長(元通産省事務次官)に、「実は、私は、GLAYのコンサートに参加していたのですが、あれだけの大イベントだったのに、何一つ問題も起らず、終始、整然と運営されたのは、大したものですね。」と、申し上げた。そして、「それにつけても、最近の若者たちが、ああいう場面では、実に、決められたことや言われたことを従順に守るので、びっくりしました。」と、付け加えた。すると、杉山社長は、うなずかれて、「自分も、かつて、ドイツに駐在していた時に、ドイツ人が遵法精神に富むのを見て、それに引き比べ、日本人の現状はこれで良いのだろうかと思ったものですが、幕張に来てから、日本の若い世代に対する認識が全く変りました。」とおっしゃる。
 今日の日本では、すぐキレてしまったり、常識では考えられない行動に走る若者たちがいる。その同じ若者たちが、別な場面では、羊の如く温順になり、決められたことに素直に従う。不可解と言えば、不可解である。しかし、その不可解さは不可解さとしても、日本の若い世代というのも、決して、捨てたものじゃない。それどころか、世界に誇りうる素晴しい「何か」を持っているのではないだろうか。GLAYのコンサートに参加してみて、そんな思いを抱かない訳に行かなかった。長い、暑い、夏の一日だった。


(房総及び房総人 1999年11月)より